教育と、旅と、地域活性と、日々のあれこれについて。
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[20110508]
7度目か、8度目のカンボジア。

一之瀬泰造という戦場カメラマンの幻影を追いかけて
初めてその地を訪れたのが2004年。

この7年間の中で、自分の中における
カンボジアの存在感は、徐々に大きくなっていった。

実はベトナムにもラオスにも、中国にもマレーシアにも行ったことがない。
未だ直行便がない、カンボジアに通い続けている。

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最初の旅での、Savongという青年との出会いが
自分をカンボジア遍歴にさせたことになる。
※Savongとの出会いの詳細はSavong Schoolのサイトにアップしています。


「誰もが学べる場を作りたい」

Savongの純粋で、実直な想いが自分を始めとした多くの人々の心を打ち
自宅の軒先に机と椅子を並べただけの寺子屋から始まった
フリースクール、Savong Schoolは、今や延べ600名が集う学びの場となった。

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学校がある、シェムリアップという地域には
名高い世界遺産、Ankgor Wattが君臨している。

1990年代後半に内戦は終結し、治安はすっかり安定しており
近年は韓国人や中国人を中心とした観光客が急増。
町は活気にあふれ、ホテルやショップが次々と建設されている。

SavongSchoolの理念には、このような町の背景がある。

観光客相手のガイドは、この国では比較的高収入が得られる職業。
公務員の月収は約60$だが、Ankgor Wattなどの遺跡を一日ガイドすれば
10~20$の対価を得られる。

SavongSchoolは町の中心から大きく外れた農村地帯にあり、
貧困にあえぐ人々は少なくない。
青年Savongは、学校をつくることで、その状況を打破しようとした。

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(右から2番目がSavong)


このフリースクールがカンボジアに数多ある学校と大きく異なるのは、
国際NGOが全く入り込んでいないことが挙げられる。
寄付に頼り、NGOが主体となって運営するモデルでは、現地の人々の自立は遅れる。
(もちろん、自分をはじめとした、数人の継続支援者は存在しているが)

Savongを中心としたカンボジア人が、自らの意思で運営しているのだ。
結果、設立から7年が経過してなお、この学校は地域に認められ、
生徒数は毎年増え続けている。

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(Savong School。月~金曜の14:00~19:00に授業が行われる)


さらに、孤児院(orpahanage center)を2008年に設立した。
今は32人のこどもたちを育てている。
運営資金はアメリカやオーストラリア等の人々からの出資で賄っている。

3度の食事、飲料水、ベッド、トイレ、着替え。
それらが保障された場で、こどもたちの表情は活き活きとしていた。

また、孤児院はSavong Schoolの近くにあり、
こどもたちは学校に通い、語学を身につけることもできる。

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Savongの挑戦はそれに留まらない。
現在着工中の孤児院があと2つ、さらにSavongSchoolでの成績優秀者に
大学の通学費用を助成する基金の設立(Savong School fundation)も立ち上がろうとしている。
また、彼には「寄付でなくビジネスで学校や孤児院を運営したい」という明確な思いがある。

実は、学校が始まった当初のSavongはそうでは無かった。

" So, I want a donation."(じゃあ、寄付してくれないか)

そう繰り返す青年だった。
しかし、7年間学校を運営していく中で、彼の考えは変わっていった。

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(建設中の孤児院)


学校を通じて出会った外国の人々とともにビジネスを展開し、
そこで得た収益を学校や孤児院の運営に充てたい。
それを、次々と行動に移している。

こういった彼の考えは、この国ではとても珍しい。
もし彼が日本人だったら、「社会起業家」と
呼ばれるようになるのかも知れない。


Savongとの関係は、この先もまだまだ続きそうだ。
ここには、自分にとっての「教育の原点」が詰まっている。

[20110409]
4月3~8日に、仕事の関係で宮城県に行って来た。

東北地方太平洋沖地震により甚大な被害を受けた東北・北関東地方の
復興支援に、会社として取り組むことになった。
仙台にある団体の活動の後方支援、及び現地の状況の把握が今回の目的。

仙台駅周辺は、既に落ち着きを取り戻していた。
ガスはまだ復旧していないものの、水・電気は通っており、
またガソリンも入ってくるようになり、街には多くの車が往来していた。

「がんばろう仙台」「私たちは負けない」「立ち上がろう東北」
鼓舞する文字が街に溢れていた。

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今回お世話になった「せんだい・みやぎNPOセンター」では、
普段仙台市をはじめとした宮城県内のNPO法人の中間支援を行っている。

震災の復興支援の為に、地元・東京のNPOや財団、商工団体と連携し
「みやぎ連携復興センター」を立ち上げ、被災地支援に取り組んでいる。

そこは毎日のように会議が行われ、迅速な意思決定が行われていく”現場”だった。

活動のひとつに、宮城県内の全ての避難所を回り、刻々と変わりゆく状況を調査し、
求められるニーズに対応していく、というプロジェクト「つなプロ」がある。
※詳細は「つなプロ」WEBサイトを参照

わずかではあるが、その活動に参加させて頂いた。

「つなプロ」は80名程度のボランティアで組織されている。
リーダーはいずれもNPOの設立者やコアスタッフといった猛者。
彼らには状況を判断し、チームや仕組みを作り上げるというスキルが求められる。

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その後、沿岸部の被災地の状況の確認として
南三陸町、石巻市を訪問。

現場は、想像を絶する世界だった。


南三陸町は、被害が最も大きかった場所のひとつ。
津波は8mを上回ったと言われている。

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津波は山の中腹まで襲い、全てを破壊し、洗い流した。
半壊、一部損壊といった言葉は、ここには無い。

瓦礫を取り除く為の重機の音と、カモメの鳴き声以外は何も聞こえない世界。
とにかく、静かだった。

南三陸町では町役場も流された。
全国から支援物資や募金・義捐金が集まっているが、
それを調整するのが各地域の自治体。この町にはそれが無い。

普段は養殖業業などで生計を立てている人々。
自治組織と言っても限界がある。

電気・水・ガスがまだ通っていない。至る所に瓦礫の山。
1ヶ月が経過しようとしている現在においてもそういった状況だ。



避難所にはボランティアセンターが開設されていた。

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通常、こういった災害のボランティアでよくあるのが
泥かきや浸水した民家の掃除。しかし、この町ではまだそのニーズは無い。
今行われているのは、自衛隊による行方不明者の捜索、そして重機による瓦礫の撤去。

医療、心理カウンセラーといった専門スキルを持たないボランティアが
できることは、この時点では限られている。


ボランティアさせて頂いたのは、「思い出探し隊」というプロジェクト。
海水にまみれた写真やアルバムを拾い集め、綺麗にする。

結婚式、旅行、クリスマス。
幸せな、家族の写真たち。

重過ぎる仕事だった。

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避難所では、長期的に運営組織づくりをサポートする人材を求めていた。
支援物資を調達し、ガソリンなどの燃料や食糧を管理する。
また、様々な団体からの問い合わせや避難所の人々の要望や意見に対応する。

仮設住宅が建ち始め、徐々に避難所で生活する人数は減少していくが、
すぐにはゼロにはならない。半年~1年、場合によってはそれ以上の期間、
避難所生活が続く可能性もある。

1週間程度の支援では、地元の人々との信頼関係を築くことはできない。
息の長い、中長期の支援が必要なのだ。



仙台への帰り道、石巻を訪れた。

高台から見下ろした、宮城県第2の人口を擁する町は
とても言葉に表せない、状態だった。


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津波は、火災をも巻き起こした。

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沿岸部だけではなく、町の奥深くまで、その爪痕は残されていた。
これから暖かくなる。早く除去しなければ、衛生面も心配だ。

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今回の震災は、宮城県においては、圧倒的に津波。
沿岸部と内陸部で状況が大きく異なる。

震災から1ヶ月が過ぎ、少しづつ元の生活に戻っていく。
しかし、未だこういった場所があり、避難所の人々の命が
削られていることを、知らなければならない。



東北の人々は強い。
支援に頼るだけでなく、自らの力で、立ち上がろうとしている。

会社としては、地元のNPOや企業と連携しながら、
全国のNPOや企業といった機関とのパートナーシップで
中長期にわたり、最大限の支援を行っていく予定だ。

個人としても、被災地を訪れ、肌で感じたことを
多くの人に伝えていく。まずはそこからやっていこうと思っている。


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P.S.
4月7日の晩の、今回の震災の中で最大の余震が起きたとき
震度6強の仙台駅近くにいた。

様々なものが激しく揺れ、人々が叫び、停電となり一気に暗闇になる。。
このビルや電柱が倒れてきたら、津波がここまで来たら、
と本気で「ヤバイ!」と焦り震えた瞬間だった。

宮城や、東北・北関東の人々は3月11日、どんな思いだったのか、
また毎日の余震をどのように受け止めていたのか。。

ふぅー、と大きなため息をついたことを覚えています。
[20101128]
おととしから通い続けている茨城県 里美。

ここで体験できることは、都会ではなかなかできないものばかり。
古民家レストランでイタリアンを食し、地元の人と落ち葉ひろいのお手伝い、
そして温泉につかる。

たったそれだけをしてきただけなのに、この充実感は
どこから来るのだろう。


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古民家レストラン。3日前にオープンしたばかり。


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150年くらい前に建てられた、趣のある古民家。


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さりげない演出が嬉しい。


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ワインで煮たイカとクスクス。まさかこんな片田舎で食すとは。


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現地に住む白石さんが打ってくれる、自慢の常陸そば。
同じそばの実なのに、製粉によってこんなに色に違いが出る。味も変わります。


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さつまいも、りんご、きんかんをカラメルで煮たデザート。


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荒蒔邸外観。


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ところ変わって沼田邸。こちらも趣のある古民家。
ここでもちつきをしたり、竹を切って器をつくったり。思い出の場所。


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今回案内してくれたのは、まったり~村の素敵なご夫妻。
無農薬の野菜をつくる農家さんです。東京から移住して5年とのこと。
http://mattaryvillage.blog72.fc2.com/


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落ち葉を集めて拾う。こうやって綺麗にすることで雑草は生えにくくなり、
森に光が宿る。ここに住む人々はずっとそうして冬を過ごしてきた。

[20101125]
この世界の中で最も好きな音楽のうちのひとつ

それが、『南無』が奏でる世界

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彼らを初めて知ったのは2年と8か月前。
パリカリというカフェで、偶然出会った。

そのカフェでは、ちょっとしたパーティが行われていて、
自分は何も知らず、彼女(=今の相方さん)に連れられ参加した。
何やら凄そうな人たちで埋め尽くされた異空間の中、
居場所が無く困っていたのを覚えている。

そんなときに、彼らが静かに音を紡ぎ始めた。

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初めて聴く曲、慣れないリズム。
心が捉えられていくのを、感じた。

英語を使わない彼らの唄は、とても分かりやすくて
そして温かい。

歌声は雄大で、でもやさしく
ちいさな女の子が叩くドラムには魂がこもっていた。


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マイナーな彼らだが、Youtubeでも音楽を聴くことができる。
でも、南無の音楽はインターネットやCDでは伝わらないと思う。

耳だけではなく、目で、肌で、振動を感じる全身で
そして心で聞く彼らの音楽は、生のエネルギーに満ち溢れている。


小さな会場が、ひとつになった。

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全国を周る彼らに巡り会うことは、
ひとつの場所で暮らす自分にはちょっと難しいけれど
また会えることを考えるだけで、生きるエネルギーがわいてくる。

南無とは、そんな音楽をつくりだす2人なのだ。



<番外編>

一緒に出演していた宮良忍さんの三線も、めっちゃ良かったです。

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[20101123]
突然のオファーがあり、
日経新聞のシンポジウムに行ってきました。

GSRとSocialBusiness
企業が動けば、世界が変わる

ソーシャルビジネスの可能性について考える、という名目で
様々な第一線の方々が登壇、パネルディスカッションを繰り広げた。
http://adnet.nikkei.co.jp/e/event.asp?e=00282

竹中平蔵氏をはじめ、元世界銀行副総裁の西水氏や、アミタの熊野社長など
豪華なラインナップ。

その中でも、マザーハウスの山口さんは光っていたなぁ。
29歳。自分と同じ年齢だ。

シンポジウムに来ていた大多数は、40~50歳代のおじさんたち。
それを前にして、堂々としゃべっていた。
この人の言うことは、2年前に初めて話を聞いたときと全くぶれていない。
それが凄い。メッセージに魂がこもっている。

社会的/経済的な両立を強く語っていたのも印象的。
情熱大陸に出て以来、すっかり社会起業家のイメージがついてしまった為に
「社会に貢献したいから」と門をたたく学生が後を絶たないのだとか。

「ちゃんと小売の厳しさ、やりがいも感じて欲しい」

しかし、それ以外の悩みや、業務上の壁が「無い」と言ったのはさすが。
「バングラで事業を展開する中でできないと思えることも全部クリアしてきた。
越えられない壁はない。」


アミタの熊野社長もとても話がわかりやすい、
それでいて一貫して同じ事を言っている。

「共感市場」「攻めのCSR」
モノを売るコストをゼロにする仕組み = 出資→参画→利用

なるほどなぁ。


元世界銀行副総裁の西水氏の話はとてもセンセーショナルだった。
ブータンに気違い→「ブタキチ」と自称する彼女は、
国民総幸福量(GNH)を提唱したブータン国王のホスピタリティと覚悟を語った。
為政者がどれだけの情熱と覚悟をもって臨むか。

また、途上国を知るにあたり、視察ではなく、数週間にわたるホームステイを実施した。
アフリカの最貧層の人々の暮らしを肌感覚で知る。自分の目で見ること。
「現場主義」を大切にしたい自分にとって、とても共感できる話だった。

しかし西水さんの話では、おじさん連中は寝ている人が多かった。
確かに設備の整った日経ホール、ふかふかの椅子。
彼女の話す世界は別世界のように思える。

でも、それで大丈夫か日本。。

西水氏の、「リーダーに頼ってはいけない」という言葉と、
オープニングスピーチで竹中氏が語った「政府がどのようにリーダーシップをとるか」
の対比が印象的だった。

どちらも必要。



「ソーシャルビジネスは、利益を配当しないが希望を配当するビジネスだ」

グラミンと一緒にプロジェクトを進めている
ダノンのアジアパシフィック社長のリチャード・ホール氏の言葉。


ソーシャルビジネス、社会起業家という言葉だけが独り歩きしてはいけない。
ちゃんとその意味が理解されるように、社会に発言していくべきだ。
たとえば、ホール氏が発したこのようなメッセージを、日本中に伝えるということ。


ちょっとでも自分がそのお手伝いをできれば、
と襟を正しつつ、現場にも行きたいと強く再認識した時間でした。
[20101114]
今年は海士町の人に会う機会がめっきり多い。

海士町と聞いて、「ああ、あそこね」となる人はおそらく、
地域活性、もしくは教育に関心のある方だと思う。

島根県隠岐郡海士町。

隠岐は、かつて後鳥羽上皇が島流しされた場所として有名。
今は、地域活性と教育のモデルケースとして大きな注目を集めている。


参加した「わっしょい」という勉強会は、
東京都の職員や文科省の方、ベネッセの社員などが中心となって
月に1回開かれている。完全に有志で企画・運営している。


今回お話してくれたのは藤岡慎二さん。
小学生~社会人に対しての10年以上の指導経験を持ち、
ベネッセとAO入試コンテンツを開発したり、予備校や学校での
講師・講演など本当に様々な分野で活躍している方だ。

自己分析からのAO入試対策塾
Global Gain Communications
http://ggcs.co.jp/

この人が、この春から海士町に住居を構え、二地域居住をしている。


さて、まずは海士町の紹介を。。

人口2500名、島には信号が1つ。
典型的な過疎化の道をたどっていたこの町が、数年前から動きが活発になり
なんと現在は200名の移住者が住んでいるとのこと。
それも、定着度がハンパないらしい。

なぜか。


それは、数年前のこと。
夕張のように、財政再建の対象となる寸前だった町が
国や県に頼るのではなく、自身の力で再建しようと、
徹底的に対策したところから、始まる。

まず、コストカットを徹底的にやった。
町長の給料50%カット、他の職員も30~40%カット。
浮いたお金を、地域資源やブランドをつくるために徹底的に投資した。

その結果、現在は岩がき「春香」、隠岐牛、海士乃塩などが
最高級のブランドとして都市圏でも売れに売れている。
また、ワゴンで海士町から東京までやって来て、「離島キッチン」として
サザエカレーなどを販売している。こちらも大人気。

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海産物はCASシステムという、組織を壊さない特殊な冷凍の技術を
取り入れたことが成功の大きな一因。アビーという会社が、海士の人々の
熱意に押され、技術とシステムを提供した。

また、隠岐牛は、地元の建設会社がブランド化に協力した。
町が、自立化するために「公共事業をやめよう!」と決断したことで
この建設会社は大激怒。しかし最終的には町の熱意に賛同する形で力を貸したのだ。

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さて、ここからは教育の話。

藤岡さんをはじめとした、数人の移住者が中心となって、
高校生に対して教育プロジェクトを実施している。

海士町にある高校に通う生徒は現在90名。
この高校が目指すのは「一人ひとりが主役になれる学校」。
「地域創造コース」と「特別進学コース」がある。

地域創造コースでは、「地域学」を学ぶ。
地元で就職するのではなく、地元で仕事を創るという考え方。
総合学習が週に10時間(!)あり、地元の事業者のところで職業体験したり
様々な考え方や事例を学ぶ。いろどりの横石さんも島に呼んで講演してもらったとか。

目指すのは、「地域起業家」。

その成果は例えば、「観光甲子園優勝」、という実績などからも伺える。


また、特別進学コースでは徹底的に勉強をする。
慶応などに進学する生徒も出てきている。

島にはこれまで塾がなく、学習意欲がある生徒が学ぶ機会がない、
落ちこぼれならぬ「吹きこぼれ」が起こっていた。

そこで、この町では民間でなく自治体による
公営塾「隠岐國学習センター」がつくられた。



他にも、町一体となって子どもダッシュ村や子ども議会、サマースクール、
島まるごと図書館、島まるごと大学事業、ママの学校など面白い取り組みが目白押しだ。

子ども議会は特にすごい。
中高生が話し合って結論に達した内容に対して、町が予算をつけて実施する。
何でも、ここから出た提案の6割が実施されているのだとか。



何故ここまでできるのだろうか。

その問いに対し、藤岡さんは言った。

「それは、町が一体となって取り組んでいるからですよ」

みんなで町をどうするかを話し合う。
*「海士町の未来をつくる24の提案」はグッドプラクティス賞にもなった
また、町内の人々が集まって、県の教育委員会に直談判にだって行く。

覚悟を決めて、みんなでやる。

少し難しい言葉で言うと、
海士町にはソーシャルキャピタルがしっかりと形成されていて、
それで地域おこしも、教育もうまくいくようになってきた。

これは、全国の離島、いや過疎が進む地域にとっての
素晴らしいモデルなのだと思う。



・・・とりあえず、カキと隠岐牛を食べに現地に行こう。
何でも、東京の半額以下で食べられるらしいので。
[20101114]
まだ少し先だが、子どもができたときのことを考えるようになった。

子どもができるというのはとても素敵なことだし、
育てるということはきっと何にも代えがたい素晴らしい体験なのだろうと思う。

ただ一方で、東京に住んでいる今、
どこで、どのように育てればいいのだろう?という問いが湧き出てくる。


そこで「一つの選択肢として」、
今日はコレクティブハウスを見に行ってきた。

コレクティブハウスとは、
独立した住居と共用のスペースを持ち、
生活の一部を共同化する住まい。

最近、シェアハウスでの暮らしを選択する人が周りに増えてきているのだが
こちらは共同化する範囲が広く(風呂や居間など)、夫婦だと少し抵抗感がある。

その点、コレクティブハウスは住居として独立しているので
プライバシーもある程度保たれる。


行ってきたのは、西国分寺駅から徒歩1分の場所。
1階がカフェとなっている。

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このカフェ「クルミド珈琲」は、
コレクティブハウスのオーナーが自ら始めたもの。
「子どもがくつろげるように」と作ったのだそう。

*WEBサイトがとても素敵です。
http://kurumed.jp/

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「このカフェにくると『ただいま』って気分になるんですよ。」

このカフェで働いていて、コレクティブハウスにも住んでいる方が
穏やかな語り口で教えてくれた。

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コレクティブハウスには、こどもから60代の夫婦まで
8世帯が暮らしている。コモンミール(住人が集まって一緒にとる食事)や、
たまに旅行にも行く。まさに家族のような付き合いをしているのだとか。


住み初めて2年間。「どうですか?」との問いかけに
「いいですよー」との笑顔の即答が、住み心地の良さを物語っていた。

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カフェはとてもくつろぎやすく、
こだわりの8時間水出し珈琲も、かぼちゃのグラタンもめちゃうま。

真剣にコレクティブハウスを考える、
とてもいい機会になった。


この暮らしを豊かにするには、
住人同士の信頼関係がとても大切だと思う。


一緒にいかがですか?

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[20101114]
やさと農場。

野菜たちと、豚さん鶏さんヤギさんたちと向き合う暮らし。
居心地のよい空間、美味しすぎるご飯。
ツリーハウスにキャンプファイヤー。

うちでは今、この農場から2週間に1度、野菜を届けてもらっている。
段ボール1箱に詰められて届けられる野菜たち。何が届くかはそのときのお楽しみ。
今の季節ならじゃがいも、サツマイモ、ねぎ、間引き大根、ホウレンソウ、コマツナ、
といったところ。野菜から季節を感じられるというのは豊かだと思う。

最近、ちょくちょく農場に顔を出すようになった。
生産者が友達だと、届けられる野菜たちに愛着を感じる。

先週、いつものメンバー数人と、最近知り合いになった高校生4名と
農場に出かけてきた。

とりあえず写真をお裾分け。
農場に行ってみたい!という人は連絡ください。
コーディネートします。

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[20101113]
「中学3年生で自転車を教えて下さいって子供が来ることもありますよ」

道が危険だからと、親御さんが乗せることをしなかった。
小さい頃、自転車に乗ることが楽しかった。
風を切り、坂を下ることが気持ちよくて、
知らない道をこいでいくことで世界が広がっていく気がした。

そんな世界を知らないまま育った子供がいるなんて。
衝撃的だった。


名古屋で体育の家庭教師をビジネスで実践している、
「スポーツファクトリースキップ」の代表・江原さんにお話を伺ってきた。
http://www.sf-skip.com/

幼児体育学科で講師をしていた江原さんは、集団指導の限界を感じ、
個別での体育のレッスンをビジネスにすることを決意し、行動に移した。

2005年より事業を立ち上げ、現在は任意団体で活動している。
近い将来には、株式会社・NPOの両方を設立することを考えている。

ちなみに、NPOでは、休耕田を使ったドロンコ遊びをひたすらやるのだという。
名古屋では、こどもたちが外で遊べる環境がすっかり無くなってしまった。
サッカーも野球も、鬼ごっこもできない。
今のこどもたちは、「外で遊びなさい!」と言われると
携帯ゲーム機を持って外に出かけるのだと言う。

だから、泥んこという自然に触れることで、シンプルに楽しむ。五感を磨く。

振り返ると、自分の小さい頃は学校が終わると裏山に入り、ひみつ基地を作ったり
ザリガニをつかまえたり、ダムの上でBB銃の打ち合いをしたり、そんな日常だった。

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※写真はイメージです。


現在、スキップでは様々なコースが実践されている。

未就学児を対象としたピヨピヨクラブでは、新聞を破いたり、御絵描き遊びをしたり。
食育の一環で、お母さんにお弁当を持ってきてもらうのだが、
それぞれのお母さんに、明日は唐揚げとたまごやきとサラダ、といった感じで
事前にメニューを指定するのだという。
そうすることで、こどもたちは「●●ちゃんのお弁当にはこれが入ってる!」
といった声がおきず、食べることに集中できるのだとか。

プレジャートレーニングクラブでは、様々な遊具を使い、「ぶら下がる」「よじ登る」「飛び降りる」
などを「遊び」を通して身につけていく。

「体育を教えるのではなく、一緒に遊ぶんです。」と江原さんは言う。

例えば、逆上がりを教えて欲しい、という依頼がお母さんから来るとする。
すると、最初の5~6回のレッスンでは鉄棒にすら触れさせないという。
苦手意識を持っているのに、無理やり教え込んでもできない。
まずは、一緒に遊ぶことから。
子供からすると、一緒に遊んでくれるプロのお兄ちゃんお姉ちゃんができた、と喜ぶ。

信頼関係ができてきたところで、逆上がりにチャレンジ。
すると、できる。鉄棒も、楽しむことを知れば友達になる。


ほとんど広告をしていないのに、体育の家庭教師への問い合わせは多いという。
それだけ、ニーズがあるということなのだろう。
もちろん、その裏には江原さんを始めとしたスタッフが長年積み重ねてきた、
信頼と実績がしっかりと根付いていることが大きい。


他にも、保育園の体育教室や、企業の体操のお手伝い、
小学校の総合学習の時間の授業など活動範囲は幅広い。講演も最近始めた。


江原さんは教育についてご自身の哲学を持たれている。

例えば、こども園。保育園と幼稚園の統合はあり得るのか。
もともと、厚生労働省と文部科学省という由来も目的も違う、
2つの機関が統一化できるのか。

また、お金について。
教育だってビジネスになることもある、
その感覚が無い教育関係者がとても多いのだと言う。
公立の学校では、1授業に国がいくら費用を投下しているのか、
税金が使われているのか、そんなコスト意識を持っている教師はあまりいない。

自分も教育、というか子供と関わる仕事でメシを食べたい、
と思っている一人なので、この思いにはとても共感できる。

教育の業界が、さらには文部科学省が
柔軟に外の世界を受け入れるようになればいいと思う。
もちろん、それを働きかけるのが自分の役割だとも考えている。



江原さんは爽やかな笑顔で最後にこう締めくくった。

「理想は、スキップという会社が無くなることなんです」

体を動かすことの楽しさを子供たちが自分で気づき、
そして動かすことの許されるフィールドが用意されること。
親御さん同士をはじめとしたコミュニティが自然に発生するような社会になること。


それはつまり、少し前の時代に戻ればいいだけのことかもしれない。


[20101112]
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と、いうわけで、少し前の話になるが、
イエメンに行ってきた。


イエメンって何?どこ?
なぜそんな国に?

色々ギモンが噴出しそうなのだが
自分の中では「ようやく!」といったところ。

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イエメンは中東の最南端に位置する、アラブの最貧国。
隣のアラブ首長国連邦ではオイルマネーで潤っているのに
石油があまり出ない(技術がない)この国は取り残されてしまっている。

それだけに、数百年前の住居が現存し、
人々の素朴な暮らしが今も脈々と続いている。

驚くべきは、男たちの腰には
ジャンビーアという、刀剣が据えられていること。

どうも、日本でのネクタイのようなものらしい。


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イエメンはイスラムの国々の中でも、最も戒律が厳しいと言われ
女性は12~14歳くらいで黒装束に身を包む。

衣装を脱ぐのは部屋の中だけ。
社交的な場にもあまり居てはいけない。

そんなわけで、街にはヒゲの男たちばかりが
目につくようになる。

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街を歩くと、沢山のこどもたちに出会う。
「スーラ!」(写真撮って!)と声を掛けられる。

アラビア語が話せない自分にとって、
カメラはこんなときに現地の人々と自分をつなぐ触媒となる。

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イエメンの人々は温和な人が多く、人なつっこい。

中東の人々に見られる、彫りの深い顔立ちと、鋭い目つきに
最初は戸惑うが、勝手に向こうから話しかけてくれる。



個人的には、今年訪れたキューバに続き、
2番目に面白かった国。また行きたい。


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またまた写真をたくさん撮ってきたので
別の機会にまた紹介しまーす。
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Author:don
関西出身、東京に来て6年。
ステムエンジニアを経て2010年夏、ソーシャルビジネスの広がりのお手伝い・企画提案と、キャリア教育のサポートを実施するコンサル会社に転職。追いかけているテーマは地域活性×教育のモデル。活動はNPOアフタースクール、教育カフェ、savongschool(in Cambodia)など。シュミは世界の旧市街歩きと写真を撮ること。

このブログでは、教育・地域活性についてと、夢である世界一周について色々書いていきます。

http://donpj.com

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