教育と、旅と、地域活性と、日々のあれこれについて。
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[20080128]
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JICA 地球のひろば、で下村靖樹さんというフリージャーナリストの方の講演を聞いてきました。
「アフリカ勉強会」http://tunapendaafrica.org/

こども兵の問題は、「子ども兵の戦争」という本でも読んだことはあるのですが、
現地を目の当たりにしている方の話は生々しく、心に響きます。


今日の内容はほぼ、自分への備忘録です。


◆こども兵について

主に15歳未満の少年(少女)の兵隊を指します。
全世界で30万人以上いると言われ、この瞬間もどこかで戦闘が繰り広げられています。


◆ウガンダについて

アフリカ中南部の内陸国。
首都はカンバラ。
イギリスにかつて統治されていた。キリスト教国。

絶滅危惧種のマウンテンゴリラの数少ない生息地域。


◆LRAの誕生と国際紛争化

1986年、ムセベニ大統領政権が発足(クーデターで奪い取った)。
国内の南北での経済格差が大きく、さらにムセベニは北部地域を半ば迫害するかのような
措置をとったらしいです。結果、北部の一部の人々の不満が怒りに変わり、
LRA:神の抵抗軍 (Lord's Resistance Army)という集団が誕生しました。

このゲリラ集団は、ジョセフ・コニーという「神の化身」と名乗る男がリーダーで、
彼の指示の元、政府軍との戦闘を断続的に行ってきました。

ムセベニ大統領の度々の通告に応じも応じず、
1994年の最後通告を行った頃より、LRAの非人道的行為がエスカレート、
国際紛争に発展しました。

2008年現在、事態は収束の一途をたどっています。

ちなみに、最も戦闘が激しかった1994年からの10年間、
国連はその立場上(あまりにも究極の局面なので)、ほぼ介入していません。
また、日本政府も外務省より渡航禁止、国外退去令を貫きました。


◆こども兵

LRAは、主に戦闘員として村より拉致してきたこどもを使いました。
精神的に未熟なこどもを洗脳し、恐怖を植え付け、戦闘マシーンに育てます。
5人組を使った監視体制、性的搾取、地雷地域を先頭に歩かせる。。

誘拐されたこどもは66,000人に上る、と言われています。
死亡したのはうち30,000人。正確な数は不明です。
一方、成人兵士はピークでも5,000人。LRAの戦闘力はこどもが中心でした。


◆政治的背景

しかし、この程度(?)の規模の集団が何故武装勢力となり、
政府にとっての脅威となり得たのか?

実は、LRAはスーダン政府より多大な援助を受けていました。

当時、隣同士のウガンダ政府とスーダン政府は敵対しており
(ウガンダ:キリスト教 スーダン:イスラム教)、
国内のかく乱を狙ってか、スーダン政府はLRAに軍事的経済的援助を行っていた、そうです。
ちなみに、ウガンダ政府もスーダン内のゲリラ集団に支援を行っていた、とのこと。


◆救われたこども兵

こども兵は、政府軍に救出されました。
理由は、こどもの命はもちろんですが、最大の要因はゲリラ情報を聞き出すため。

救出直後のこどもたちは、一様に目に輝きがなく、
中には焦点が合っていないこどもたちも多かったそうです。
また、まばたき以外に表情が全く動かなかったらしいです。

彼らは以下のような流れでリハビリを受けることになります。

①Child Protection Unit
怪我や感染症等の応急処置を行う。
②リハビリセンター
精神的なケア、社会復帰に向けた職業訓練

最初は「生ける屍」だったこどもたちが、
徐々に笑顔を取り戻し、本来のこどもの姿へと戻っていきます。

しかし、トラウマは一生残ります。

人を殺戮した、という事実。
性的搾取を受け、父親の顔もわからないようなこどもを抱え生きることになる13歳の少女。
拉致の恐怖から、夜に家にいることができず、「ナイト・コミューター」へと逃げ込む。
兵士としての能力しかないがために、社会復帰後、政府軍に就職する。

等々。。


◆収束へ

スーダン政府との和解(2002)後、援助を打ち切られたLRAは徐々に勢力を弱めます。
現在、ジョセフ・コニーとの間で和解交渉が行われており、事態は収束へと向かっています。

ある程度こどもは救出されつくし、
リハビリセンターもその役目を終え、閉鎖されていきつつあります。

しかし、問題はたくさん残っています。

国際刑事裁判によるジョセフ・コニーらLRAメンバーへの法の処罰
(まだ彼らは捕まっておらず、どこかに潜伏しています)、
こどもに対する継続的なケア、シングルマザーとなったこどものフォロー体勢。。




まとめ、として。

カンボジアのクメール・ルージュに関わる文献はかつて、何冊か読みました。
ウガンダの問題は、細部は違えど似たような問題を多く抱えています。

軽がるしく「この目で見てみたい」などと言えません。
あまりにもリアルで、あまりにも愚かな行為。


もちろん、こんなことを知らなくても生きていける。
ただ、真実を知る、権利はあるし、少なくとも自分は知っていたい、と思います。
[20080125]
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フィリピンには意外にも、花が満ち溢れていました。

特に高度1500mの街、バギオの郊外の家には
大切に育てられている花々が嬉しそうに輝いていました。

花屋もやたらとありましたね。。。


こどももキチンと花に水やり。

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カメラを片手に歩いていると、
そんなささいなこともふと、発見したりします。

旅先にいるときは、
感性が研ぎ澄まされるような、気がします。


東京の日常ではなかなかその感性を保つのは難しい。
と、いうことで最近はコンパクトカメラを必携してたりします。

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久しぶりにカンボジア以外の海外へ行ってきました。

フィリピンは東南アジアで唯一のキリスト教国家。
日本からほど近く、セブ島などリゾートへの日本人観光客が後を絶たない。

・・・とは言え、今回の旅では一度たりとも日本人に会わなかった。
要するに、そういうところにばっかり行っていた、ということです(笑)


正直、首都マニラのスラム街等の治安はかなり悪かった。
幸い、トラブルには何も遭遇しなかったけれど、
「あ、これは結構ヤバイな」と思うシーンが何度かありました。

しかし、地方はなかなか良かったです。
世界遺産のあるバナウエの郊外の村の人々は素朴で、笑顔がステキでした。
時間があれば、もっと奥地に行ってみたかったけれど。。


それにしても、僕の顔を見て、現地の人々はみななぜか口を揃えて
「アンニョンハセヨ!」の大合唱。

韓国人が沢山来るんでしょうかね。

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don

Author:don
関西出身、東京に来て6年。
ステムエンジニアを経て2010年夏、ソーシャルビジネスの広がりのお手伝い・企画提案と、キャリア教育のサポートを実施するコンサル会社に転職。追いかけているテーマは地域活性×教育のモデル。活動はNPOアフタースクール、教育カフェ、savongschool(in Cambodia)など。シュミは世界の旧市街歩きと写真を撮ること。

このブログでは、教育・地域活性についてと、夢である世界一周について色々書いていきます。

http://donpj.com

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